2026年5月24日(日)
- Kazimir Youngwood
- 思考 , 日常
- 2026年5月24日(日)
昔も流行や同調圧力などの認知負荷はあったけど、今は常時接続、アテンションエコノミーの跋扈、アルゴリズム最適化、不安を増幅する情報流通、SNS・AI による行動誘導、などなどが重なって、「普通に生きているだけで精神が削られる。
特に厄介なのは、現代の多くのサービスが「ユーザーの健全性」ではなく、滞在時間、課金、依存、刺激、リテンションといった「企業側の指標」に最適化されていること。つまりは資本主義の指標。ユーザーのための指標ではない。これはスマフォゲーム開発のときに嫌というほど思い知らされたし、自分なりに葛藤していた部分でもある。
昔は twitter も「今自分がしていること」をただ呟くだけのちょっとサブカルというか IT 業界向けのインディーぽいほのぼのツールだったのに、今は半分(?) 8 割(?)くらい「社会的不安増幅装置」になっている。
facebook や instagram では「自分は遅れているのでは」「もっと稼がないと」 「AI に代替されるのでは」 「他人はもっと充実している」。これらを、1 日中浴び続ける。いや、もうログインしてないから知らんけどな。
しかも最近は AI の台頭によって「知的労働すら安全ではない」という感覚を広範囲に与えている。これは「自分の存在価値」への揺さぶりに近い。最近若者の間で「メンタルパフォーマンス(メンパ)」みたいな言葉が出てくるのも自然。単に能力や努力だけではなく、心を削られない/落ち着いていられる、つまり自分の精神衛生を自分で守ることがデフォルトの「生存能力」になってきている。知らず知らずのうちに「精神衛生防衛ゲーム」を強いられている時代と言える。